吉澤嘉代子から目を離すな(1) – 「ストッキング」:鮮やかなカタルシス #吉澤嘉代子


吉澤嘉代子(よしざわ・かよこ)(→公式サイト)という名前は、以前からちょくちょくTwitterのタイムラインで目にしていた。
なぜ興味を抱いたか、理由は分からない。何かしらの直感だったのか。

女性ソロシンガーは毎年何人もデビューするが、その大半はブレイクせずに消える。
たとえブレイクしたとしても、長年にわたって第一線で活動を続けていける人はごく一握りだ。
その運命を分ける要因は様々だけど、ひとつの指標として「カタルシス」があるのではないかと思う。

カタルシスについて軽く解説。

カタルシス(ギリシャ語 κάθαρσις katharsis, 英語 catharsis)は、哲学および心理学において精神の「浄化」を意味する。アリストテレスが著書『詩学』中の悲劇論に、「悲劇が観客の心に怖れ(ポボス)と憐れみ(エレオス)の感情を呼び起こすことで精神を浄化する効果」として書き著していこう使われるようになったが、アリストテレス自身は演劇学用語として使った。

(カタルシス – Wikipediaより抜粋)

個人的な解釈では、浄化というより「解決」ではないかと思う。
事実とか現象の解決ではなく、精神の解決。

女性に限らず誰でもそうだけど、生きている内に、自分では解決できなくてどうしようもないことが数多くある。
きっとそんな悶々とした気持ちを曲にして歌っているのがシンガーなのだろう。
自ら紡いだ言葉の中で、自ら歌う中で、それを解決し、自らも救済していく。
そしてその歌を耳にした聴き手をも解決し、救済していくのだと思う。

「解決」に向けたプロセスは様々だけど、時代によっても、人によっても変わっていく。
たとえば「ギターを抱えた女の子」なんて何人も見て来たけど、男性に突っ張ったり、社会に突っ張ったり、自分の恋愛観をあけすけに歌詞にしたり、そういう手法もすっかり手垢にまみれてしまっているのではないだろうか。
「カタルシスを消費する」と言えるのかも知れない。

そこで、吉澤嘉代子の「ストッキング」である。

「魔女の宅急便」を見て「いつか私の元にキキが来てくれないかな。夢見る必要のない夢の国に連れてってくれないかな」と憧れていた、十三歳の夏には戻れない、元々その憧れすら蜃気楼であったことを知る、大人になった自分。

世間には「化け物」がたくさんいて、ちっとも特別ではないことを思い知らされた自分。
でも、特別ではなかったとしても、自分には魔法があったはず。魔女にもなれるはず。
その思いを封じ込めた象徴である「ストッキング」を引っ掻いて部屋の外に飛び出したら、夜空も一緒に伝線していてほうき星が掛かったみたいになって、すごく綺麗だった。
そう、多分彼女は、キキになろうとしているのだ。

彼女自身が悶々とした思い、もっというと大仰な不満を抱いて、それを歌にしようとしているのかどうかは正直分からない。
でもこんなに新しくて、鮮やかなカタルシスを歌える人を、私は初めて見た。

彼女がこれからどう展開していくかは何とも言えないが、もし本人が言う通りの「魔法」を取り戻せたとしたら、相当楽しみなミュージシャンになるのではなかろうか。

単独ツアーで5月に来阪予定もある彼女について(勿論チケットは確保済み)、これから折にふれて書いてみようと思う。