有安杏果のももクロ卒業によせて


不肖からふね、電子書籍「有安杏果論」三部作で、有安杏果の歌うたいとしての可能性を説いてきました。
そして、ももクロが存続するにせよ終わってしまうにせよ、いずれ必ずひとりの歌手として独り立ちしなければならない、その時が来るであろうことも繰り返し綴ってきました。


特に昨年「ココロノセンリツ」をキーワードに彼女はソロ活動を本格化させましたが、「緑色の服を着て来ないで欲しい」「ペンライトも点けないで欲しい」といった、ももクロ色を排する意向をしばしば見せたことで、既存のモノノフからは「杏果はやめちゃうんじゃないか」と不安の声があがっていたのも事実でした。
当時のフォーク村でもしばしば不可解な言動を見せていたことも、不穏な想像を煽る結果となっていました。

でも、こんなに急に「卒業」を宣言するとは、さすがに予想外でした。

1年以上前から「辞めたい」意向を示していたこと。
マネージャーの川上アキラさんには話していたものの、メンバーに打ち明けたのは昨年暮れだったこと。
全国ツアーも完遂していない中での、結果的に急な発表になったこと。

モノノフの中には彼女を批判する者も少なからず現れています。
「他の4人のことをどう思ってるの?」
「ファンの気持ちをどう考えてるの?」
「ももクロは君にとってどんな存在だったの? そんなに大事なものじゃなかったの?」
「ソロ活動のための踏み台だったの?」
「裏切り者」
「プロ意識がない」
「身勝手」
「あなたが嫌いになりました」等々。

ももクロを辞めたいと思った理由について色んな人が色んな想像をしていますが、勿論本当の所は分かりません。
本人の口からそれが語られることがあったとしても、恐らくずっとずっと後のことになるでしょう。

改めて痛感するのですが、元々有安杏果はアイドルになるつもりはなかったのだと思います。
スターダスト・プロモーションの中の「ダスト組」と自嘲していたももクロ全員「図らずもトップアイドルになった」と言えるのですが、有安杏果は特に、アイドルを目指して芸能界に身を置いていたわけではなかったのでしょう。
ももクロを評す時に(個人的に大嫌いな表現なんですが)「4人の超人と1人の凡人」という形容がしばしば見られます。
良くも悪くも天性のアイドル性を身につけた4人に対して、努力や事前の「段取り」で何とか食らいついていたのが「ももクロの有安杏果」だったのではないかと思います。

率直に申し上げて、今回の経緯は大いに批判されるべきです。
まさかこの時期に、しかも事務所までやめてしまうとは、世間の目にはあまりにも性急に映るでしょう。
「そんなにももクロが嫌だったのか?」
本意ではないと思いますが、そう受け止められるであろうことは有安杏果自身も分かっていたはずです。
8年間そばにいた4人の苦悶にゆがむ顔、怒り狂う顔、呆然とする顔、そして泣き崩れる顔もきっと脳裏をよぎったはずです。
(よぎったからこそ、なかなか打ち明けられなかったのかも知れませんが)

でも、「それでも、私は」という思いが勝ってしまったのでしょう。

アイドルは「ファンタジー」だと言う人がいます。
その舞台裏を見せようが隠そうが、ファンタジーがあること自体を前提として成り立っているのがアイドルであると、私も思います。
嫌な表現をすると「ファンタジーの囚人」とも言えるでしょうか。
翻って「ステージで見たまんまの5人」「表裏がない」などと言われ続けて来たももクロですが、私は3年前の「紅白卒業騒動」で、「ももクロもまたファンタジーの囚人だったのだ」と認識してしまったのです。
だって公式サイトのリリースにせよ、直後のメンバー各々のブログでの言及にせよ、「本音」を言っていないのは明らかだったじゃないですか。
「本音」の中身は分かりませんが、少なくとも「”本音と建前”がももクロにもあったんだ」という厳然たる事実が露呈したのは間違いないと思います。

ももクロは、そして多くのモノノフは、その後も「ファンタジー」に縋ろうとしました。
しかし今回の一件で、見ないふりをしていた「ファンタジーの瓦解」を目の当たりにしてしまいました。
それこそが多くのモノノフが混乱している理由だと思います。

もしかしたら当の有安杏果自身、「紅白卒業」で「自分の中のファンタジー」が瓦解してショックを受けたのかも知れない……というのは想像が過ぎるでしょうか。

いずれにせよ、今回のやり方はメンバーに、そしてファンの中に重大な遺恨を残しました。
もっと上手くやれなかったのか、もう少し綺麗に別れられなかったのか、と本当に悔やまれてなりません。
身近な人達からもこっぴどく叱られたでしょう。
既に昨年ももクロから離れている私も、正直納得がいっていません。
ももクロの「ファンタジー」自体はこれから残った4人が再構成するのでしょうが、「ももクロの有安杏果」の終わりを、こんな形で見たくはなかったです。

けれど、私は彼女に言いたい言葉があります。
今まで誰も言っている人を見たことがないので、言います。

(今からこれまでにも増して自分勝手なことを書きます。苦痛に思う人はここで読むのをやめてくださいね)

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

有安杏果よ! よくやった! よく決断した! 君を見直したよ!

子供って「お父さん、お母さんの喜ぶ顔が見たい」というのがモチベーションのはじまりっていうじゃないですか。
成長して自我が生まれると今度は「先生のため」「友だちのため」「愛する人のため」とモチベーションの原動力が移り変わっていくのが普通ですよね。
「誰かのために」。とても美しい言葉で、自分のため以上に力を発揮することだってしばしばあります。
ただ、それが「誰かの顔をうかがう」方向になってしまったら、とても不幸ですよね。

22年間芸能活動を続けて来た有安杏果は、ずっと「誰かのために」を地で行った人生だったんじゃないでしょうか。
ミュージシャンになりたかったお母さんの夢を引き継ぐために。
ダンススクールやEXPGで落伍していった友だちの分まで。
スターダスト・プロモーション移籍後、所属後間もなく解散に追い込まれたPower Ageの仲間たちの分まで。

ももクロに入ってからも色々ありましたよね。
初のホール公演を済ませた翌年に早見あかりが脱退、「Z」をつけられたグループの捲土重来を果たすために。
天性の華を持つ優しすぎるリーダー、百田夏菜子のために。
ぶっきらぼうだけど根っこは熱い美学の人、玉井詩織のために。
しっかりものだけど生真面目故に脆い末っ子、佐々木彩夏のために。
繊細で優しいももクロのバンディエラ、高城れにのために。
ムラっ気のあるメンタルと、声帯結節という爆弾を抱えながらね。
ステロイドの副作用であるムーンフェイスにも悩まされながらね。

そして、滑舌をイジり、長話になるのをイジり、鳥嫌いをイジり、無理やり作らされた料理をイジり、それでも自らが「有安杏果の役に立っている」「有安杏果を支えている」ことを微塵も疑わないモモノフたちのために。
挙げ句、どこぞの大阪のおっさんに、あることないこと好き勝手書かれた電子書籍まで出版されてね。

ずっと、ずっと、ずっと、誰かのために生きて来た芸能生活なんですから、ちょっとぐらい自分のために生きたってバチは当たらないでしょう。
「普通の女の子に戻りたい」という言葉から、私はその意図を感じました。
「活動休止」とすると「○○のために戻らなきゃいけない」というプレッシャーになってしまうからです。
勿論ケジメの意味もあるでしょうけど。

でも、自分勝手に生きることの、何が悪いのでしょう?
犯罪を犯したわけじゃなし、法を破ったわけじゃなし。
「裏切り者」だの「プロ意識がない」だの批判する人たちって、じゃあ「卒業を撤回します。申し訳ありません」と謝罪したところで、認めても許してもくれないんですよ。
玉井詩織が言った通り、「有安杏果の人生」ですもの。批判する人たちは何の責任も取ってくれません。
彼らは自分勝手に溜飲を下げようとしているだけですから、こちらが顔色をうかがう必要など何もないのです。

有安杏果は聡明な人です。そして粋な心配りも出来る人のはずです。
少々スットコドッコイでポンコツメンタルですが、こうした批判や怨嗟の声が来ることが分からないはずがありません。
そうしたことを覚悟の上での、今回の決断なのでしょう。

だとしたら、ファンとしてすべきことは「次の人生に幸多からんことを祈って送り出す」以外にないじゃないですか。
タモリさんがSMAP解散の時に仰った通り、「大切なこと、それは引きずらないこと」です。
人によっては難しいことかもしれませんが、建前だけでも「送り出してあげる」、その姿勢を示すことが、8年間ももクロの「緑」として我々を魅了して来た彼女への礼儀ではないでしょうか。
少なくとも、ももクロの4人は「引きずらない」と思います。そうであって欲しい。

今後彼女がどうするかは何も分かりません。
事務所もやめるのですから、本当にしばらくは一般人として生きるのでしょう。

ただ私は、彼女にはある期待をしています。
「有安杏果論」を書いた人間としての責任とも言えるでしょうか。

前掲の「4人の超人」が、有安杏果に結局最後まで追いつけなかった資質が一つだけあります。
言うまでもなく「音楽と歌」です。
5年ばかり有安杏果を追って来た私の中では、ももクロを捨てられても、音楽と歌を捨てられるはずがない……その確信はゆるぎないものになっています。
「ココロノセンリツ」というものを作り上げたその労力と気概。
ソングライティングにせよ、メロディメイキングにせよ、イマイチこなれない部分があってもそれを「味」として聴かせられるのは、天賦の才能だと思います。
それをこのまま埋もれさせてしまうのは、あまりにも惜しい。惜しすぎる。

というか、世間の流れを見ていて疑問に思うことが一つあります。

本人のコメントにも、公式のリリースにもその言葉はどこにもないのに、何で「芸能界を完全に引退する」ってことになってるんですか?
心身のバランスが取れていない現状は本当なのでしょう。
けれど、何で「完全に一般人になる」という風に持っていこうとするんですか?
百歩譲って一般層やメディアは仕方ないとしても、何でモノノフまでその流れに乗って「最後だ! 最後だ!」って悲嘆に暮れているんですか?

「心の旋律」で「貫く想い それはただひとつ 歌いたい、歌いたい 握ったマイク もう離さない」ってはっきり歌ってるじゃないですか。
何故その言葉を信じてあげられないんですか?
まさか「ももクロの有安杏果でないと何の価値もない」だなんて思ってないですよね?
ももクロの有安杏果が好きだったのは私も同じですから心情としては理解しますが、あまりにも酷ではないでしょうか。
それほどまでに、ももクロを卒業することが許せないのでしょうか。

私は、どれだけ時間がかかっても、どういった形であっても、有安杏果は必ず歌をうたうためにステージに戻って来ると確信しています。
だから、あまり落ち込んではいませんし、「これで最後だ」なんて微塵も考えてません。
彼女がしっかり心身のバランスを整えられるその時まで、待っているつもりです。

そもそもですね、アルバム「ココロノオト」は、私には少々物足りないんですよ。
歌唱力は勿論、収録曲のクオリティの面でも、アレンジ面でも、全体の構成としても、最初の作品にしてはとても完成度の高い素晴らしいアルバムです。
ただ歌詞の内容に厚みが足りないと感じました。「Catch Up」にせよ、「愛されたくて」にせよ、「TRAVEL FANTASISTA」にせよ、恋を歌っているもののそれは恋慕なのか親愛なのか、敢えてぼかしている感じがしてならないのです。
「普通の女の子に戻りたい」という言葉には、その部分を「取り戻したい」という意図もあるんじゃないかと思うのです。22年身を置いていた場所とは別の世界で、料理や家事をして、普通に街を歩いて、友達と食事をしてお酒を飲んで、たまには旅行も行って、ステキな異性と恋愛をして……そういった、今まで出来なかったことをしたい。そう思ったんじゃないでしょうか。
音楽の聴き手の大半は、そうした「普通の人」です。その人たちに共感してもらえないポップ・ミュージックを作っても意味がありませんからね。
だからもっともっと魅力的な曲を産み出すために、そしてもっともっといい歌をうたうために、一旦引退する……私はそう考えています。

この凄まじく長い駄文にお付き合い頂いて本当にありがとうございました。
以下、「有安杏果論」を読まれた方ならお馴染みの「私信」で締めたいと思います。

8年間、いや22年間、本当にお疲れ様でした。
1月21日が終わったら、まずしっかり休んで欲しい。
でも、あなたが手にしている「歌」という刀だけは、絶対に手放すんじゃねえぞ。
もうそれは「妖刀」ではなく「名刀」なんだ。
卒業を惜しむ人たちの声は届いているよね? ももクロを出るあなたの背中を見ている人がたくさんいる。そう、あなたはもう「よそ者」ではないんだ。
これからどうなるのか、どこに向かうのかは、私には分からない。
けれど、どこにいたって、何をしていたって、その場所、その現在地に、あなたが立って歌うだけで意味があるんだ。
そして、あなたを愛する人たち、あなたの背中を追いかける人たちへの「道しるべ」になる。
それが、あなたが別府で宣言した、自分の歌を聴いてくれる人の人生の「柱」になるということだと思う。

「ありがとう」は言わないよ。
いつか必ず、歌をうたいに戻って来てくれ。その時を待っています。
それこそが、あなたの生きる道だと信じているから。

……やっぱり最後はこれしかないよな。

歌え、生きるために。